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代官坂ロマンを思う:元町・横浜山手 [日記・雑感]

横浜市内は幾つかの丘陵地と坂により成り立つ町で、其の中で"山手"と呼ばれる元町丘陵地帯は開港に伴い「港の見える丘公園」から横浜共立学園高に沿う山本町~打越間道路あたり迄が居留地とされ西洋式洋館住宅、教会病院、学校、墓地など基盤が整った町としての西洋文化の優位性を見せられ下町の庶民は「ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」と歌った。

山手居留地と下町を繋ぐ坂の中でも「代官坂(旧名:箕輪坂)」は北方、本牧から海へと繋がる道として外国人に受け入れされたようで、「代官坂」付近に居を構える傾向があった。

その坂の途中に横浜村の名主石川右衛門屋敷と道路越し斜め前方の山際にネーサン、ブラウンが明治6年(1873)に教会を建て布教した"日本バプテスト発祥之地"の碑がある。

少し下った所にある分岐道より元町公園に入り右に沿った石段を登ると明治17年(1884)A.A.ベネットによる「バプテスト神学校]開設碑がある。(この神学校が関東学院開校の原点で、現在の三春台関東学院はC,B,テンネーにより創設)

明治4年(1871)山手48番地に婦人宣教師ピアソン,ブライン,クロスビーによりアメリカ婦人教授所が開所,翌年にピアソンは日本婦女英学校を現在の当校地に設立し横浜共立学園の前身となっている。横浜共立学園高校内に文久2年(1862)この地でへボンと新約聖書の和訳に務めたとされているS.R.ブラウンの顕彰碑があります。
(横浜共立学園様の御好意により校内で撮影:2008年12月1日)この様に、宣教師により宣教を兼ねて設立された学校を継承しているミッションスクールが横浜に多い。

文明開化物として明治10年代の横浜居留地の代官坂あたりを舞台にした大仏次郎著書(;霧笛);がある。また、代官坂への登り口となる元町商店街を舞台にした三島由紀夫著書(午后の曳航)がある。この様に代官坂は山手居留地と下町を結び、文化を育む坂道でもあった。
第二次大戦後の翌年に代官坂際に横浜の夜を飾ったダンスホール「クリフサイド」が開店した。港町横浜のクリフサイドということで、有名俳優が来店し知名度が上がり、その栄光を引き継ぎ現在も営業している。時代ごとに代官坂を通り過ぎていった歴史のロマンを感じる。


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代官屋敷


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日本バプテスト発祥の地碑


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バプテスト神学校:関東学院校の原点


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横浜共立学園高校敷地で当時ヘボンと新約聖書の和訳に務めたブラウンの顕彰碑


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三島由紀夫著作:午后の曳航の掲示版


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クリフサイド舘


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