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ねこが踊る踊り場駅 [日記・雑感]
朝日新聞(5月25日)「踊場駅」記事について、以前に訪れた時の写真がありましたので紹介します。
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踊場の碑の由来駅
踊場の地名は伝説として古猫が集まり毎夜踊ったので生じたと言はる。この碑は猫の霊をなぐさめ住民の安泰を祈念して近郷住民の総意にて元文二年(西暦一七三七)造立し中田寺住職尊帰として開眼供養せられしものなり。
最近交通いよいよ激しく長後街道と鎌倉道のこの交差路改修にて碑の移動に伴ひ本願の地区安泰と交通安全を祈願のため町内有志相計り住民各位の助成を得て慰霊塔を護持先祖の意志を継承奉らんとするものである。
昭和六十一年十一月三日に戸塚区から当地は泉区に変更になった。
中田踊場慰霊塔管理委員会
場所:横浜市営地下鉄線ブルーラインの踊場駅(おどりばえき)

踊場駅正面-猫をイメージした駅舎:正面窓は「猫の目」、屋根三角採光部は「猫の耳」を型採る

猫の供養と交通安全を祈願した石塔

構内通路の側壁に「猫の目」がデザインされている

エントランス天井照明灯に「踊る猫」の絵画

構内への昇降口庇に「猫の絵画」
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新緑の”こども自然公園” [日記・雑感]
五月晴れの横浜 [日記・雑感]
久しぶりの五月晴れ、、横浜駅地下鉄→関内駅下車→横浜スタジアムがある横浜公園→日本大通り→象の鼻パーク→赤レンガ倉庫広場→大岡川に沿って万国橋を渡る際に横浜公園にあった岩亀楼の史跡碑を思いつき岩亀横丁の岩亀稲荷に寄り道し徒歩で横浜駅に帰還。半日コースで虫干も出来た日でした。
以下の画像は無断使用禁止
近代水道100周年記念モニュメントとトチの木開花:
モニュメント中央に水の精、周囲に獅子(水源池)、イルカ(海岸)、馬(馬車路)、龍(中華街」)、の意味を持つ方向に向ている
モニュメントの前に立つと口より水が出る
横浜開港資料館の庭に展示されているBLUFFと水道栓:bluffはコンサイス辞書に崖、断崖・・・THE BLUFF は横浜の断崖(ペリー来航で水深を測った当時の本牧海岸崖)と固有代名詞で記載されている
BLUFF溝と獅子頭栓についてに説明版
スケッチ:横浜開港資料館庭のメイフラワー(5月の花)の別名がある西洋サンザシの花
象の鼻パークにあるオブジェ
ドイツビールと日本ビールのEvent
客船を眺めながらのジョッキーを片手に会話がすすみ楽しそう
五月晴れの野外でリラックス・・赤レンガパーク広場
大岡川の遊覧船・万国橋(アーチ形)が画面上部に見える・昭和15年(1940)神奈川県の橋100選14位にランクされている又此処から写真撮影の夜景スナップポイントでもある
横浜駅構内:横浜文明開化時代の建物を代表すう横浜三棟のモニュメントで港町の歴史を演出させている、 モニュメント中央:神奈川県庁舎(キング),右:横浜税関(クイーン)、神奈川県立歴史博物館(ジャック)と呼ばれている
駅構内の待ち合わせ場所:赤い靴はいた女の子(岩崎きみ)ちゃん像と両側にガス灯を模したランプ柱(ガスは危険のため使用していない)を市の玄関口である駅構内に設置し横浜への来浜を促進する思いかな?
横浜公園の日本庭園側に外国人用港崎(みよざき)遊郭があり岩亀楼で使用していた灯篭保存先の妙音寺より移設されたもの
岩亀横丁の岩亀稲荷: 病に罹り倒れた遊女が静養する寮があり死亡し た人を供養する祠で毎年5月25日に例祭が営まれている
岩亀楼 ホムページへリンク←ここをクリック
追記:驚き!!私の画像が掲載されている,どうゆうことか。下記写真の赤い枠内の2枚。
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横浜開港資料館の庭に展示されているBLUFFと水道栓:bluffはコンサイス辞書に崖、断崖・・・THE BLUFF は横浜の断崖(ペリー来航で水深を測った当時の本牧海岸崖)と固有代名詞で記載されている
スケッチ:横浜開港資料館庭のメイフラワー(5月の花)の別名がある西洋サンザシの花
大岡川の遊覧船・万国橋(アーチ形)が画面上部に見える・昭和15年(1940)神奈川県の橋100選14位にランクされている又此処から写真撮影の夜景スナップポイントでもある
横浜駅構内:横浜文明開化時代の建物を代表すう横浜三棟のモニュメントで港町の歴史を演出させている、 モニュメント中央:神奈川県庁舎(キング),右:横浜税関(クイーン)、神奈川県立歴史博物館(ジャック)と呼ばれている
駅構内の待ち合わせ場所:赤い靴はいた女の子(岩崎きみ)ちゃん像と両側にガス灯を模したランプ柱(ガスは危険のため使用していない)を市の玄関口である駅構内に設置し横浜への来浜を促進する思いかな?
岩亀横丁の岩亀稲荷: 病に罹り倒れた遊女が静養する寮があり死亡し た人を供養する祠で毎年5月25日に例祭が営まれている

横浜駅の歩み [日記・雑感]

初代横浜駅の歩み
安政5年(1858)日米通商条約[神奈川条約]に基き安政6年(1859)6月2日に開港されたが米国の主張する江戸に近い東海道神奈川開港の求めに対して神奈川は横浜であると東海道より外れた寒村の横浜村を主張し激しく対立する。 最終的に横浜村が開港地と決まり、英国人モレルの指導により初代横浜駅と新橋汐留駅間に蒸気機関車が走る。 一般乗客専用駅としてスタートしたが、第一次大戦による軍の物資、緒産業物資など輸送基盤を整える必要に迫られるが初代横浜(後の桜木町駅)は位置的に東海道幹線への接続に問題があり東海道幹線に近い高島町に二代目横浜駅を建設し初代横浜駅を桜木町駅と改称するが関東大震災で両駅ともに倒壊してしまう。倒壊した二代目横浜駅は廃駅され東海道幹線駅とし三代目横浜駅が現在の地に新設される一方、同様に倒壊した桜木町駅は一般乗客専用駅として復旧され駅前東口に貨物専用駅[東横浜駅]が新設される。 臨海線鉄道の敷設と繋がり横浜港荷扱所港湾施設、神港埠頭、赤レンガ倉庫などが貿易港として機能の充実が整う。 その後、桜木町駅周辺は都市計画が進みビジネス街と観光地を形成させ[港みらい21]地区として開発。開港当時の臨海腺とその設備類は観光ルートとして現在保存管理され全国でも例を見ない憩いの場所に変貌。 現在の横浜駅は東海道幹線駅として大きく新装され、「みなとみらい線」の新設に伴い桜木町駅は「みなとみらい21」地区への駅として新装される。 横浜は開港という歴史より歩んできた街で醸し出す街の雰囲気は具体的に説明表現できないが横浜市総人口は3,688,624人(2012-2-1日現在)で国内都市の中でトップ東京に次ぎ二番に位置し横浜に居住したい思いを持たれる人、横浜に行ってみたい人が多く好感度があるようです。

霧笛 [日記・雑感]
日本人でありながら外国人居留地に住まいする人々の鬱屈(うっくつ)した思いを描写している作品。
主人公の千代吉はイギリス人「クゥパー」の館で働いている使用人、同じように西洋人の館で働く通称「代官坂の富」と殴り合いの喧嘩して「富」に勝つが南京町(現在の中華街)「豚常」をやっつけてくれと依頼される。負けた「富」は、今夜付き合ってくれと外人相手の酒場チャブヤに誘う。「千代吉」はそこで若い女「お花」を知り夜毎「お花」の家で会うが「クゥパー」が神戸より帰宅が近くなると女は急に会わなくなる。
「クゥパー」の愛人だった「お花」との情事が知られ激怒し「千代吉」は解雇され、波止場に係留されている会社の貨物船の船底石炭庫に連れ込まれ、拘束されている痩せ衰えた三人のインド人水夫を目の前でピストルにより殺されるのを見せられ次は俺の番かと恐怖に慄く。「千代吉」をじっとしばらく見つめていたがピストルを下げ無言で船倉より出口へ向かう後を「千代吉」が追う。すでに錨を上げていた船は静かには錨をあげており二人が船を降り岸壁から離れるまで見送る。「クゥパー」の館へ帰る谷戸坂を登り始めたとき沖合いの船からであろう「霧笛」が崖の暗い静寂の中に長く響き寂しい音と聞こえる。
「千代吉」が殺される事態を免れたには「お花」が「クゥパー」に強請(せが)んだと「豚常」から聞く。
後日、泥酔した「千代吉」は夜道を例の外人相手の酒場に行き「お花」と「クゥパー」と出会う。「こいつ(お花を指す)はお前さんを金蔓と思い、欲がなければ誰が旦那にとるか」と罵りインド人殺しは誰にも言わないから安心なさってくださいなど挑発し言い合いとなる。「クゥパー」は「千代吉」にピストルを向けるが動揺せず、重みのあるピストルを支えきれず手をおろし「お花」が腕にしがみつきピストルを取り上げるが反抗さえせず汗をかき目がうつろ状態になった「クゥパー」を店から追い出し、「千代吉」に愛を求める「お花」に引き金をひいてしまう。

大仏次郎館

霧笛橋

橋柱プレート:霧笛

代官坂

大仏次郎館

元町商店外

霧笛楼
大仏次郎著:霧笛 ←ここをクリック







氷川丸見学スナップ [日記・雑感]
[氷川丸]・・(横浜市指定有形文化財)
・全長:163.3M・船腹:20.12M・総トン数:11.622T・最高速力:18.38ノット・
・先客:一等79名・二等70名・三等140名・合計289名。
[コメント]・・
昭和5年(1930)4月25日・日本郵船の社船として横浜船梁株式会社、(現在のみなとみらい21乾ドックの場所にあった三菱重工横浜造船所)にて竣工。
昭和5年(1930)5月27日・シアトルに向けて処女航海。
昭和16年(1941)11月8日国際状況によりシアトル航路閉鎖。
第二次太平洋戦争で南太平洋で病院船として活動。
昭和35年(1960)シアトル航路から撤退。
昭和36年(1961)横浜港開港100周年記念として当地に係留されユースホステル開業。
平成20年(2008)4月25日、リニュー工事され一般公開。
氷川丸-山下公園前係留
山下公園に係留
氷川丸船尾(艫)・係留鎖の白いのはかもめ

白灯台:明治22年~29年:パーマーにより大桟橋建設時に港湾を包みこむ防波堤が築堤され
北側堤に白灯台、東側堤に赤灯台だ設置される・・詳細は末巻のリンクを開いてください。
船内客室通路
一等食堂
上階Aデッキへの階段
一等児童室の丸窓より山下公園方向を見る
Aデッキよりマリンタワーを見る:
煙突上の赤いマーク二本は日本郵船の識別マークでファンネルマーク(FUNNEL MARK)とい言われている
Aデッキより山下公園を見る
右方向へ移動
更に右へ移動
更に右方向へ:大桟橋
大桟橋全体
大桟橋先端-鶴見方面を見る
白灯台ファイルへリンク

梅満開:こども自然公園梅林 [日記・雑感]
相鉄腺二俣川駅下車:
梅花は春をつげる花として3月に見頃をむかえますが、今年は天候不順で日照時間が短く寒い日も続いた為め7日~10日と遅れる気象予報がありました。
4月(春)を間近にして、動物、植物は自然界のルールに従い動き始まりますが人間様も野外活動の初動に駆られます。
今日は久しぶりに青空で少々風が冷たいが梅の開花を写真に収めようと出かけました。
毎年、梅花を見るにつけ、「我こそ梅乃主よと夕ぐれないの花乃影に、木隠れて見えざりき」と消え失せる一声が思いだされます。
(能楽演題:東北・軒端の一説に和泉式部が霊となって現れた里女と旅の僧と問答にて舞い謡う)








横浜散歩紹 ←ここをクリック
梅花は春をつげる花として3月に見頃をむかえますが、今年は天候不順で日照時間が短く寒い日も続いた為め7日~10日と遅れる気象予報がありました。
4月(春)を間近にして、動物、植物は自然界のルールに従い動き始まりますが人間様も野外活動の初動に駆られます。
今日は久しぶりに青空で少々風が冷たいが梅の開花を写真に収めようと出かけました。
毎年、梅花を見るにつけ、「我こそ梅乃主よと夕ぐれないの花乃影に、木隠れて見えざりき」と消え失せる一声が思いだされます。
(能楽演題:東北・軒端の一説に和泉式部が霊となって現れた里女と旅の僧と問答にて舞い謡う)








代官坂ロマンを思う:横浜山手 [日記・雑感]
横浜市内は幾つかの丘陵地と坂により成り立つ町で、山手丘陵地の山手通りに沿ってある私学ミッションスクールと教会は開港当時の宣教師塾、教会を継承した伝統ある学校。
明治、大正と昭和の初めに横浜代官坂(旧箕輪坂)を舞台にした著書がある:
慶応3年 霧笛:大仏次郎(明治10年頃著)
午後の曳航:三島由紀夫(昭和38年頃著)
開港に伴い江戸幕府が「山下居留地(商業を目的)」を急遽造成する。その後明治政府が引き継ぎ尊王攘夷を論ずる不逞浪人などによる加害から保護するため慶応3年(1867)妙香寺境内とされる元町丘陵地に居住用「山手居留地」を新たに造成する。横浜に来浜された宣教師は山手居留地の代官坂に近い区域に布教活動拠点を置き、教会、英語塾、施療所において布教活動を始める。代官坂付近に拠点を設けたのは安全面より横浜村名主石川徳右衛門屋敷がある事が第一であるが、元町商店街から代官坂丘を越えて北方(現在の北方小学校前の道路)より坂を下って妙香寺の横を通り本牧海岸への往還路がある環境に地の利があると判断されたのではないでしょうか。

横浜村名主石川徳右衛門屋敷に建てられた現在の家屋

代官坂歴史の説明版

日本バプテスト発祥の地石碑

三春台関東学院の母体:歴史的建造物

横浜共立学園校舎:横浜市定文化財

William Merrell Vories:ミッションスクール校舎の設計を手がける

当時の夜を飾ったダンス・ホール:クリフサイド:現在も開業

代官坂に掲げられた「午後の曳航」三島由紀夫著の案内版

「午後の曳航」 三島由紀夫著 ←クリックしてください
横浜散歩散策 ←クリックしてください
明治、大正と昭和の初めに横浜代官坂(旧箕輪坂)を舞台にした著書がある:
慶応3年 霧笛:大仏次郎(明治10年頃著)
午後の曳航:三島由紀夫(昭和38年頃著)
開港に伴い江戸幕府が「山下居留地(商業を目的)」を急遽造成する。その後明治政府が引き継ぎ尊王攘夷を論ずる不逞浪人などによる加害から保護するため慶応3年(1867)妙香寺境内とされる元町丘陵地に居住用「山手居留地」を新たに造成する。横浜に来浜された宣教師は山手居留地の代官坂に近い区域に布教活動拠点を置き、教会、英語塾、施療所において布教活動を始める。代官坂付近に拠点を設けたのは安全面より横浜村名主石川徳右衛門屋敷がある事が第一であるが、元町商店街から代官坂丘を越えて北方(現在の北方小学校前の道路)より坂を下って妙香寺の横を通り本牧海岸への往還路がある環境に地の利があると判断されたのではないでしょうか。









別名称しゃもじ寺の長楽寺 [日記・雑感]
長楽寺(浄土宗)・・・横浜市旭区
由緒:関東管領上杉氏一門の宅間上杉
三経山浄業院と号し、開山は法誉天暦上人で、寛永二年(一六二五)領主二代目宅間二郎規次 の開基。その後、元禄八年(一六九五)緑誉締山が本堂を再建したが、関東大震災で倒壊し、昭和十一年(一九三六)に再建された。(旭区郷土史原文)
相鉄線二俣川駅に近い三仏寺に開基宅間治部少輔規富 歴代の墓所がある。関東管領上杉氏一門の宅間上杉は鎌倉幕府、足利幕府、後北条、徳川幕府に仕える。関lが原の合戦で家康側に組し戦出陣の恩賞として武蔵国都筑郡二俣川村と上総国七村所領の知行を安堵され徳川旗本として代々存続し明治十五年に及ぶ。
行事:
別称をしゃもじ寺とも呼ばれる。毎年一月一日の修正会のとき、新しいしゃもじ供養をし、一月十五日に古いしゃもじのおたきあげ供養が行われる。

長楽寺タイトル

屋根棟上に葵の紋章

参道

石仏
本堂と、もみじの木
境内-1

境内-2

境内-3
長楽寺より厚木街道を希望が丘駅方向にと左側にある
銘木古木・横浜市認定番号50009
同上・銘木古木・横浜市認定番号50010
横浜散歩紹介
http://www004.upp.so-net.ne.jp/cipot/
由緒:関東管領上杉氏一門の宅間上杉
三経山浄業院と号し、開山は法誉天暦上人で、寛永二年(一六二五)領主二代目
相鉄線二俣川駅に近い三仏寺に開基
行事:
別称をしゃもじ寺とも呼ばれる。毎年一月一日の修正会のとき、新しいしゃもじ供養をし、一月十五日に古いしゃもじのおたきあげ供養が行われる。






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